1751・宝暦1年、三川内の陶工、福本新左衛門外四家族が引越して来て、市ノ瀬に窯を築いて磁器を焼き、3代目新右衛門の1825・文政8年に閉窯するまで75年間続いた。一般家庭用の焼物であったので、現存する製品は極めて少ない。2代目仁左衛門の1804・文化1年に、瀬戸の陶工加藤民吉が福本家に住み込み、満2年間白磁の製法を習業した。民吉の帰郷後、瀬戸は陶器製造から磁器製造へと発展し、現在の世界的窯業地の基礎を築いた。
加藤民吉死後は瀬戸に於いて、磁祖窯神神社として祀られているが、その民吉に白磁の技術を伝えた窯跡として、代々皿山の窯跡は佐々町の誇るべき史跡である。